アフリカや中南米、中東などの悲劇もアメリカが張本人
世界混乱の元凶 大量暗殺・虐殺集団 CIA関係者の証言
「CIA」 秘められた真実
暗殺作戦
アルテ・フランス (フランス 2003年)
| 証言者 | |
| 元CIA支局長(1986〜89)ミルトン・バーデン 元CIA支局長(1992〜96)リチャード・ホルム 元CIAテロ対策本部長(1995〜98)チャールズ・コーガン 元CIAテロ対策本部職員 ロバート・スティール 元CIA職員(中東担当) ロバート・ベア 元CIA職員(キューバ担当) サミュエル・ハルバーン |
元CIA長官(1968〜73) リチャード・ヘルムズ 元CIA長官(1973)ジェームズ・シュレジンガー 元CIA長官(1977〜81) スタンスフィールド・ターナー 元FBI長官(1978〜87)元CIA長官(1987〜91)ウィリアム・ウェブスター 元CIA長官(1991〜93) ロバート・ゲイツ CIA副長官(1978〜81)国防長官(1987〜89)フランク・カールーチ 元CIA副長官(1989〜92) リチャード・カー |
| 国家安全保障会議 首席委員(中東地域 1977〜79年)ウィリアム・クワンド |
元国務長官(1981〜82)アレクサンダー・ヘイグ 元国務省職員 ウィリアム・ブラム |
| [CIA 秘められた歴史] 著者 ジョゼフ・トレント ワシントンポスト副編集長 ジム・ホーグランド |
元KGB(アメリカ担当責任者) オルグ・カルーギン |
<CIA誕生>
1941/12/7の真珠湾攻撃。
FBIはのソビエトのスパイからの警告を無視し、アメリカの諜報機関はその予測すら出来なかった。
トルーマン大統領は、その反省から1947年、アメリカ中央情報局CIAを創設。
エドガー・フーバー(J.EdgarHoover)の帝国だったFBIにとって大きなダメージとなった。
トルーマン大統領はフーバー長官に、今後、海外での諜報活動はFBIに任せないと言った。
現在、首都ワシントンの郊外にあるCIA本部(バージニア州ラングレー)には約16000人が働いているという。
組織図、活動内容、職員の給与や名前などその詳細は全く非公開とされている。
創設時に35人だったスタッフは今や約10万人に膨れ上がり、その予算も280億ドルに上っているといわれている。
FBIが国内の諜報活動を行うのに対して、CIAは海外での諜報活動を任務とする。
トルーマンは、CIAを大統領直属機関として創設した。
海外での秘密工作や破壊を行う、アメリカ唯一の公的機関である。
CIAの任務は情報の収集と、分析・評価、外交努力が失敗したときだけ活動するとされ、軍事行動は公には認められていない。
<CIA関係者が語る任務> (CIAは情報を操作することも任務なので、どこまで真実かは不明)
元CIA職員(中東担当) ロバート・ベア「CIAは冷戦の申し子です。その機能はただひとつ、万一の時、ソビエトがいつでこでどのように仕掛けてくるか予測することでした。そのためだけに作られた組織でした。CIAは真珠湾攻撃での大失態を受けて作られました。1950年代から80年代までの任務はソビエトの政治の行方とその意図を探りだすことだけでした。」
元CIA長官(1991〜93年)ロバート・ゲイツ「CIAを含むアメリカの諜報機関は、その力の半分以上をソビエトに対して注いでいました。」
元CIAテロ対策本部長(1995〜98年)チャールズ・コーガン「我々の任務は第3世界のありとあらゆる国、アンゴラ・アフリカ東部・アフガニスタン・イランなどを監視することでした。沈黙の戦争が何十年も続いていたのです」
元CIA職員(キューバ担当)サミュエル・ハルバーン「私の仕事は相手の国が何を企んでいるかを探り出すことです。それには相手組織への侵入が何よりも手っ取り早い方法です。誰かをもぐり込ませるとか、誰かを抹殺することでした。」
<アレン・ダレス>
アレン・ダレスがCIA長官に任命された1953年以降、CIAの仕事が着々と増えていった。
[CIA 秘められた歴史]著者 ジョゼフ・トレント「1947年まで遡り、グアテマラ、ハンガリー、ベルリン、ベトナム、チリを見てみると、長年に渡るCIAの工作には同じやり方が繰り返されているのが、よくわかります。」
元CIAテロ対策本部職員ロバート・スティール「CIAは数多くの秘密工作を行いましたが、やり方が同じなのは、秘密工作をやる政府機関が他には無く、競争が存在しなかったからです。そして大統領はこの機関を秘密に、すなわち国民に説明せずに自由に使えました。」
国家安全保障会議 首席委員(中東地域 1977〜79年)ウィリアム・クワンド「アイゼンハワーからケネディ時代初期まで現在よりずっと厳しく秘密主義が徹底していました。CIAはイランやグアテマラで本格的な工作活動を行いました。それを知る国民はほとんどいませんでした。CIAの活動について公の場で口にする人は誰もいなかったのです。」
<イランのクーデター>
アラン・ダレスは1953/5に、イランにおけるクーデター 「A-ジャックス作戦」を実行した。
これはCIAが行った始めてのクーデータ-計画となった。
イランのモサデク首相はアングロ・イラニアン石油会社(イギリスのBPの前会社)国有化を発表した。
これに対抗して、イギリスは禁輸措置を発動し、イギリスとアメリカの石油企業はイランからの撤退を決めた。
イランは大混乱に陥った。
さらにイギリス首相はアイゼンハワー大統領に働きかけ、アレン・ダレスはパーレビ国王の息子を政権の座に復帰させる計画を立てた。
元CIA支局長(1986〜89年)ミルトン・バーデン「計算され尽くした作戦というより、たまたま起きた出来事でした」
ロバート・ベア「黒幕が誰かご存知ですか?ブリティッシュ・ペトロリウム(BP)です。イギリス首相がアイゼンハワーを訪れ、アメリカのサウジアラビアのように、イギリスもイランの油田が必用だと言ったんです。アメリカはそれに乗ったワケです。」
元CIA長官(1968〜73年)リチャード・ヘルムズ「当時のイギリス首相は状況を打破するため、アメリカのアイゼンハワーやアレン・ダレスに圧力をかけたのです」
ウィリアム・クワンド「イギリスがアイゼンワーを説得できた一番の理由は、アメリカにイランの石油をこれだけあげようと言ったからではありません。アイゼンハワーに、中国で負けたようにイランで共産主義に負けると言ったからです。イランを取られたのは誰の責任だという問いに答えたくないでしょうと言ったのです。モサデク事件は組織的な計画でした。『モサデクはひどい指導者だ。イラン国王も弱くて何もできない。だから我々がイランに介入し、イランがソビエトに乗っ取られるのを阻止しなければならない。』それくらい露骨でした」
リチャード・ヘルムズ「モサデクは間違いなく共産主義者でした。彼を排除していなかったら、ずいぶん違う政権になっていたでしょう。社会主義政権、共産主義政権、正に神のみぞ知るです。」
ウィリアム・クワンド「イランを手放すわけにはいかない。しかし朝鮮戦争のように戦うことはできない。それだけの準備は無い。そこでCIAを使った秘密工作が考えられたのです。ダレス長官は戦争をせずに、成果をあげる最善の方法は、CIAを利用して政権を転覆させることだとし、それが大成功を収めました。だからグアテマラにも他の国にもこの方法を使ったのです。卑劣だけれども一番簡単だからです。」
<グアテマラのクーデター>
カリブ海有数のバナナや熱帯果物の産出国であるグアテマラは、ほとんどすべての国土、そしてすべて経済をアメリカの多国籍企業ユナイテッド・フルーツ社に握られていた。
1955/6 アルベンス・グスマン大統領はユナイテッド・フルーツ社の土地を貧しい農民たちに分け与えると共に、同社が輸出する果物に課税しようとした。
ロバート・スティール「グアテマラが果物に課税するのは理に叶っていました。しかし、ユナイテッド・フルーツ社は、アメリカ政府に圧力をかけ、グアテマラを破産に追い込もうとしたのです。」
元国務省職員 ウィリアム・ブラム「ホワイトハウスや国防省にコネクションを持つユナイテッドフルーツ社は、アルベンス政権転覆をホワイトハウスに要求できるほどの発言力を持っていました。」
元CIA支局長(1992〜96)リチャード・ホルム「共産主義に傾いていくアルベンス政権を止めなければと思ったのです。」
ミルトン・バーデン「ユナイテッド・フル-ツ社と共産主義、問題はその2つでした。」
大規模なクーデター計画が、アイゼンハワー大統領、アレン・ダレスとその兄ジョン・ダレス国務長官の3人の話し合いで決まった。
ダレス兄弟は外交と諜報組織のトップにいた。
アレン・ダレスはユナイテッドフルーツ社の経営陣の一人でもあった。
CIAはクーデターでグスマン政権を転覆させ、アルマス将軍の率いる軍事政権を成立させた。
将軍がまず最初に実行したのは、ユナイテッドフルーツ社とアメリカの利権を脅かす、土地改革法を潰すことだった。
ロバート・スティール「グアテマラ大量虐殺の原因はアメリカ政府とCIAにあります。わずかな輸出税を払いたくないがために、あのような人物を権力の座につけたからです。」
リチャード・ホルム「軍事時政権を樹立したことによって、それから40年もの間、グアテマラでは何十万人もの人が殺されました。」
ロバート・スティール「アルベンスの一件ではCIAの緻密な作戦が成功した。モサデク作戦計画も素晴らしかった。誰もがそう思いました。ただ幸運だっただけでした。」
<コンゴのルムンバ首相暗殺>
1960年 アフリカのコンゴはベルギーから独立し左派勢指導者力ルムンバが首相に就任。
コンゴには莫大な鉱物資源があり、アメリカはそれに注目していた。
ウィリアム・ブラム「そのためにルムンバは転覆させられました。このことはアフリカにとって恐ろしい前例となりました。」
チャールズ・コーガン「1969/8/18に開かれたミーティングでアイゼンハワーはルムンバ排除を示唆しました。」
CIA副長官(1978〜81)国防長官(1987〜89)フランク・カールーチ「大使館の中で首相を降ろすことについて議論しました」
チャールズ・コーガン「国家安全保障会議でルムンバ暗殺について白紙委任を受けたと解釈したアレン・ダレスはそれを実行に移しました。」
フランク・カールーチ「ルムンバ暗殺の命令が下り、毒入りのハミガキが支局長の元に送られました。彼はその仕事を拒否しました。」
リチャード・ホルム「(CIA)職員たちは暗殺に関係するのを拒みました。」
フランク・カールーチ「私たちは政治的解決を提案しましたが、ワシントンは別の方法が適切だと思ったようです。」
アレン・ダレスがルムンバ暗殺の命令を出した。そして、コンゴ動乱(1960〜63)で多くの人々が殺傷された。
1975年の下院議会調査委員会は当時の大統領アイゼンハワーもこの作戦を承認していたことを明らかにした。
モドス将軍はルムンバを撃ち殺した。
後に、CIA副長官(1978〜81)から国防長官(1987〜89)になったカールーチは、当時、国務省職員としてコンゴに配属されていた。
フランク・カールーチ「しかし、考えてもみてください。国務省の下級職員が政府の暗殺計画を阻止できるはずもありません。」
リチャード・ホルム「ルムンバは刑務所から脱走して隠れていましたが、CIAが捜索に加わり発見されました。そしてコンゴ国内の最大の敵に引き渡され殺されたんです。」
ミルトン・バーデン「もちろんCIAも関わっていました。それが当時のアメリカのやり方だったわけです。」
ワシントンポスト副編集長 ジム・ホーグランド「CIAは『独裁者を選び、国を支配させるように』と大統領に命令されたのです。」
元CIA副長官(1989〜92)リチャード・カー「グアテマラやイランへの政治介入のときはCIAが介入するのは間違いだと議論できた時代でした。」
元KGB(アメリカ担当責任者)オルグ・カルーギン「正しいのか、誤りなのか、それは別問題です。CIAは秘密工作を行うためにあるんです。」
<キューバ>
元CIA長官(1973年)ジェームズ・シュレジンガー「50年代のアメリカには自信と幻想がありました。世界中のあらゆる場所でCIAにできないことは何も無い。この神話をイランや中央アメリカに関与していた時代から、CIA関係者が自ら感じ始めたのです。」
ジョゼフ・トレント「彼等は自分等の地位、金そして権力を合衆国大統領に物が言える立場を利用して維持しました。『本当にトラブルのときは私たちが政権を転覆させます。あなたにその力を与えましょう』と言える立場です。」
ミルトン・バーデン「最大の問題はCIAの中で自らの力を過信し思い上がったことです。カストロなんて簡単だと考えたのです。」
ロバート・ベア「キューバなどただのマヌケな国だと考えていました。しかし、キューバはアメリカ政府が考えていたより賢く、そして強かったのです。」
1959/1 キューバ革命
独裁者バチスタを追放した国家評議会議長フィデル・カストロがアメリカの砂糖会社の国有化を発表した。
緊張が一気に高まった。
アメリカは国交を断絶、カストロは、ソビエトの指導者フルシチョフと友好条約を結んだ。
ウィリアム・ブラム「カストロはラテンアメリカにおける悪い前例となりました。小さな島国がアメリカ政府に抵抗し、属国にならないというのです。衝撃でした。」
アイゼンハワーは、政権移譲の時に「ピッグス湾」と呼ばれるいうファイルをケネディ大統領に渡した。
アイゼンハワー政権の副大統領でケネディの対立候補だったリチャード・ニクソンとアレン・ダレスの2人が立てた計画だった。
ケネディはこのピッグス湾計画を引き継いだ。
ミルトン・バーデン「ケネディは就任式のあと、すぐにピッグス湾計画を引き継ぎました。彼はあまり気に入りませんでしたが、承認したのです。それが大惨事となりました。」
1961/4 ピッグス湾事件 : CIAは戦闘経験の無いキューバ人亡命者1500人を攻撃部隊に仕立て上げ、キューバに送り込んだ。
CIAはアメリカ空軍の支援を期待していた。
しかし、ケネディはそれを拒否し、作戦は失敗。
CIAは計画失敗の全責任をケネディに押し付けた。
リチャード・ヘルムス「作戦は大失敗でした。やり方がまずかった。それだけです。」
元CIA長官(1977〜81)スタンスフィールド・ターナー「最悪の軍事作戦でした。支援すべき諜報活動も最悪でした。」
リチャード・カー「僅かな人数を送り込み、カストロ政権を転覆させようなんて、カストロをあまりにも過小評価しすぎていました。」
フランク・カールーチ「CIAは政府が反乱を軍事作戦を支援すれば、計画は可能だと考えていました。しかし、ケネディはピッグス湾上空からの軍事支援を拒否しました。だから失敗したのです。」
リチャード・カー「我々はピッグス湾事件にとても腹を立てました。CIAがかなりの責任を負っていた作戦が大失敗したからです。大統領に苛立ちや怒りを感じた人たちもいたでしょう。」
ウィリアム・ブラム「ケネディがピッグス湾事件で十分な支援をしなかったため、CIAはケネディを嫌ったのです。」
そして、ケネディ大統領と、弟のロバート・ケネディ司法長官はCIAにカストロ暗殺の全権を与えた。
1961年のピッグス湾上陸失敗から1963年後のケネディ暗殺まで、カストロは少なくとも8回の暗殺計画から逃れた。
ロバート・スティール「ケネディがキューバに関して訪ねたとき、統合参謀本部議長は真顔でキューバがアメリカ本土を攻撃して、アメリカ人を殺したようにみせかけ、それを理由にしてアメリカが軍事行動に出ることを提案しました。もちろん却下されました。」
元CIA長官(1987〜91)ウィリアム・ウェブスター「当時のCIAは、カストロをどう扱うか悩んでいました。」
ミルトン・バーデン「カストロ暗殺は何度も試みられました。カストロの葉巻を爆発させるなんてものもありました。」
ウィリアム・ウェブスター「痒くなる粉を彼のヒゲに染み込ませるとか、馬鹿げた計画ばかりです。彼の地位を弱体化させると称して、くだらないことばかりを考えていました。」
ウィリアム・ブラム「何十回となくカストロ暗殺が試みられたのです。」
ミルトン・バーデン「8回といったところでしょうね。25回ですって。そんなに強運な者はいませんよ。とにかくロバート・ケネディはカストロ(暗殺)にとりつかれていました。」
元CIA職員(キューバ担当)サミュエル・ハルパーン「どちらが強引だったかよくわかりません。ただ我々が接していたのはジョン(F・ケネディ)ではなくロバート(ケネディ)の方が多かったです。」
ミルトン・バーデン「ケネディは計画のすべてを知っていました。ロバート・ケネディもです。」
サミュエル・ハルパーン「どうして彼等がそれほどまでにキューバを目の敵にするのか、私にはわかりませんでした。ひとつだけ思い当たることがあります。いつも成功を収め、解決できないことに直面したことの無かったケネディ兄弟にとって、キューバはどうしても解決できない問題だったのです。結局、政府を含めたすべての人がこの問題を乗り越えるために手を貸さなければなりませんでした」
<ケネディ暗殺>
CIAが強大な力を持ち始めたことが、ケネディに問題の種となった。
ダレス長官は、CIAのすべての失敗をケネディのせいにし、反ケネディ運動に乗り出した。
ミルトン・バーデン「ケネディは完全に逆上し、CIAを潰したいと思っていました。」
ジョゼフ・トレント「ものすごく怒っていましたね。CIAを一枚一枚、剥がして、風に吹き飛ばしてやりたいと言っていました。」
サミュエル・ハルパーン「CIAの破片など、今までに見たことがありますか?私はありませんね。CIAが誰かに潰されたことなんて、今までに一度もありませんよ。」
ジェームズ・シュレジンガー「でも、それからしばらくCIAは目立たなくしていました。」
元国務長官(1981〜82)アレクサンダー・ヘイグ「ケネディはマクナマラ国防長官を使ってCIAの人事を行い、左寄りの人間を導入し始めました。ケネディが決めたことです。」
ケネディはCIAの権力を縮小し、強力なリーダー、タレスを排除しようと決意した。
ダレスで懲りたケネディは、有能だが控え目なジョン・マコーンを新しい長官に指名。
ダレスは自分が解任されたことに激怒した。
ダレスは10年間かけてCIAを作り上げたのだ。
1963/11/22 ケネディ暗殺。
ケネディが暗殺された翌日、弟のロバート・ケネディはマコーン長官に会い問い詰めた。
「CIAが殺したのか?」
ミルトン・バーデン「疑問が生まれたのは大統領暗殺のすぐ後です。確かにロバート・ケネディは(CIAが)関与しているのか?とマコーン長官に尋ねました。」
ウィリアム・ブラム「マコーンは絶対に認めないでしょう。CIAが大統領暗殺に関与していたことを認める長官なんていませんよ。」
サミュエル・ハルパーン「CIA長官に大統領を殺す理由なんてありません。確かに大統領は彼らを解任できます。でも殺す理由にはなりません。CIAが大統領を嫌ってる?そんなこと大統領はとっくに知っていましたよ。」
ジョンソン新大統領は、ケネディ暗殺事件の真相究明をウォーレン判事の調査委員会に託した。
ところが、奇妙なことに捜査の資料は、ケネディ暗殺の容疑のかかっていたダレス前CIA長官に集めさせた。
ダレスは、かつてケネディにCIA長官の座を追われ、激怒していた人物なのにだ。
数ヵ月後、ウォーレン判事はジョンソン大統領の前で調査結果を発表。
組織的な暗殺計画は無く、単独的な犯行という内容だった。
ウィリアム・ブラム「ダレスはウォーレン調査委員会にあらゆる妨害をした。この委員会で何も出てきて欲しくないと思えば当然のことです。」
フランク・カールーチ「私はすべての情報を提出するようにCIAに指示しました。ケネディ暗殺に関するファイルを1つ残さずです。それでも陰謀を示す証拠はありませんでした。もちろん、CIAが関わっていたという証拠もありません。CIAが合衆国大統領の暗殺に関与することなんて、想像も出来ません。」
元FBI長官(1978〜87)元CIA長官(1987〜91)ウィリアム・ウェブスター「下院議会は6百万ドルをかけて調査を行いました。私はFBIに入ってすぐに、そのテープを渡されました。あの丘の上、芝生の高台に2人目の狙撃手がいたことを示すテープを調査委員会から渡されたのです。」
ロバート・ベア「とても興味が湧きました。CIAに入ったころ、ケネディ暗殺についてよく知っているというフランス人から話を聞いたのです。彼についてはそれ以上話せませんが、とにかく、詳しいんです。それで見たいと思ったのです。極、個人的な好奇心でした。私はファイルの閲覧を希望しました。でも極秘ファイルだと断られました。黒いテープがグルグル巻きつけられて誰も見れないようになっていたそうです。そこである計画を思いついたのです。ファイルを請求できるのは作戦部長と長官だけ。そこでファイルの請求書類を他の書類に挟んで、いつも忙しい作戦部長の部屋へ行き、渡したのです。彼は急いで書類にサインをしました。ファイルの請求権を得た私は、その書類を提出しました。ファイルは12冊あるのに、来たのは『行方不明です』と書かれた紙だけでした。」
ジョゼフ・トレント「ケネディ暗殺事件の真相。それはアメリカ最大の秘密です。本当のことを我々は何も知らないのです。」
<ベトナム戦争>
ケネディ暗殺の数ヵ月後、ジョンソン大統領はケネディが進めていた、ベトナムの軍事顧問団の引き上げ計画の見直しを始めた。
リチャード・カー「ベトナム戦争中、我々はずっと自分たちの限界を感じていました。そして北を聖域と考えている限り、ゲリラ戦に勝つことはできないだろうと感じていました。」
トンキン湾事件
1964/8 CIAはトンキン湾で、北ベトナム軍に、アメリカの駆逐艦マードックスが攻撃を受けたという偽装工作を展開した。
ジョンソン大統領はこれを口実に、ベトナムへの兵力を増強し、北ベトナムを空爆を開始した。
ジョンソン大統領(当時)「アメリカの駆逐艦マードックスがトンキン湾で攻撃されました。公海上の意図的な攻撃です。いわれのない攻撃です。」と演説。
サミュエル・ハルパーン「デッチ上げの攻撃でした。もしかしたら乗組員が勘違いしただけで、実際には何も無かったのかも知れません。」
ロバート・スティール「艦長はメッセージを送っています。『自分は何も目撃していない。さらに、これまで自分が送った全通信文の内容にも疑問を抱いている。自分たちが幻想と戦っている可能性も高い』とね。しかし、国防総省と大統領派彼の通信文を無視し、トンキン湾事件を開戦の口実に使ったのです。」
リチャード・ホルム「それによって決議案が通過し、情勢は大きく変わりました。」
ジョンソン大統領(当時)「すべてのアメリカ国民はベトナムに関する全面的取り組みへの意思を倍増させることでしょう。」と演説。
ウィリアム・ブラム「戦争をエスカレートさせる口実です。」
リチャード・カー「他の事件を正当化するために、この事件が利用されました。」
ウィリアム・ブラム「今ではそれがデッチ上げだったことをみんな知っています。当時も疑問を持っている人がいましたが、それが証明されたのは、ずっと後になってからです。それが単なる口実だったことが明らかになったのです。」
ベトナムでは「フェニックス作戦」が始まろうとしていた。
アメリカが敵とみなすベトナム民族解放戦線ベトコンを支援する民間人を暗殺をする作戦だ。
CIAに実行命令が下った。
暗殺現場にメッセージが残された。
遺体の傍らに置かれた「スペードのA」だ。
犠牲者のほとんどは拷問を受けていた。
フェニックス作戦責任者で、CIAを率いたウィリアム・コルビーは、その数年後、CIA長官に就任した。
ウィリアム・ブラム「フェニックス作戦はベトナムの基盤を破壊するための作戦でした。彼等はベトコンと関係のある、すべての人々を抹殺しようとしました。」
ジェームズ・シュレジンガー「コルビーは私に単純明快な作戦だと断言しました。」
ウィリアム・ブラム「彼等はベトコンと関係ありそうな人々を片っ端から殺しました。兵士ではなく、民間人をですよ。血に塗れた大量虐殺でした。」
ミルトン・バーデン「戦略村、平和村。そんなものは大抵失敗に終わります。そんなもので戦争は終わりません。そしてジョンソンはベトナム戦争の波に完全に飲み込まれました。」
ベトナムで展開するアメリカ軍地上部隊の数は、4年間で2万人から54万人に増強された。
ニューヨークタイムズが発表した内容には、ジョンソン政権が発表したものとは違う事実が載せられた。
ロバート・スティール「アメリカ軍はベトナムの補給路を絶つ為に、カンボジアを爆撃しました。国防総省はそれをベトナム国内だったとウソの発表をしたのです。」
ジョゼフ・トレント「アメリカはベトナムの内戦を共産主義との戦いと間違えたのです。その結果、100万以上の命が奪われたのです。」
ロバート・スティール「アメリカはジュネーブ協定に違反し、戦争犯罪を犯しました。アメリカの人々はその事実に気がついていませんでした。」
ウィリアム・ブラム「CIAが犯した最悪の行為の数々はほんの一部の人しか知りません。」
<ウォーターゲート事件>
ジョンソン政権で始まり、ニクソン政権に引き継がれたものに「カオス作戦」がある。
これは海外勢力によって操られているとされる活動家を標的にしていた。
CIAは疑わしい多くのアメリカ人を何年間にも渡って監視し、疑わしい人物の動きを盗聴器などを用いて徹底的に調査した。
特別情報班はアメリカ政策に反対する多くの人々をスパイしたのだ。
ミルトン・バーデン「反戦活動家や反戦ジャーナリストも標的にされました。そして盗聴されました。」
ジェームズ・シュレジンガー「手紙の無断開封には私も関わっていましたが、長官になったときに廃止しました。」
ミルトン・バーデン「アメリカの諜報機関は自国民を対象にすべきではないのです。」
ロバート・スティール「敵に対する諜報活動と、個人のプライバシー侵害には大きな違いがあります。」
ジェームズ・シュレジンガー「ジョンソン政権の命令で行ったことです。CIAを避難せずに、ジョンソン大統領と政府を非難すべきです。」
ジョゼフ・トレント「アメリカ市民の行動を監視するのは最も非アメリカ的な行為です。しかし、この方法はフーバーやニクソンなどがよく使いました。ニクソンはこれを信じ、政策の一部に取り入れたほどです。」
ジム・ホーグランド「ニクソンの違法行為が明らかになり、スキャンダルになりました。CIAもその違法行為に関与していました。」
大統領選挙が行われる1972/6、5人の男が民主党の本部があるウォーターゲートビルに侵入し逮捕された。
その中に元CIA関係者がいた。
大統領報道官は「事件は第3級住宅侵入罪」と発表した。
キューバ人4人を含む、5人が逮捕された。
そのひとり、元CIA職員ジェームズ・マッコードは大統領祭戦意委員会の警備を担当していた。
ジェームズ・シュレジンガー「CIAとウォータービル侵入の情報が集まり始めました。」
リチャード・ホルム「CIAを退職した元職員が関わっていました。」
ニクソン大統領(当時)「非常識なこの違法行為にガクゼンとしました。再選委員会のスタッフに関与に、衝撃を受けています。」と釈明演説。
アレクサンダー・ヘイグ「ニクソンは自分自身を守ろうと大きなヘマを冒し、窮地に立たされました。」
ニクソンはこのとき再選のため、選挙運動を加速させていた。
しかし、ワシントンポストの記者は、ウォーターゲート事件を追いつづけ、ニクソンを追い詰めた。
ニクソンは、FBIにウォーターゲート事件の捜査を打ち切らせるため、ファイルを盗んだのはCIAの独自の判断だったと発表するよう、ヘルムズCIA長官に要求した。
ロバート・スティール「犯罪者はニクソンです。CIAではありません。CIAはニクソンの隠ぺい工作の協力を拒否したのです。」
ウィリアム・グラント「FBIの捜査を止めさせるためCIAを利用したのです。」
リチャード・ヘルムズ「ニクソン大統領はCIAが書類にサインすることを望みましたが、私は拒否しました。」
リチャード・ホルム「大統領の命令をヘルムズは拒否しました。『それは国家安全保障に係る問題だとは思えない。我々は関与しない』と言ったのです。その結果、ヘルムズは職を失いました。」
ジョゼフ・トレント「最も人気の高かったヘルムズ長官は精錬潔白で、皆に愛されていました。でもチリの問題では違いました。」
<チリのアジェンデ大統領暗殺 : 軍事クーデター>
ウォーターゲト事件の前年、1971年、チリでは社会主義のアジェンデが大統領に就任した。
ニクソンはアジェンデを打倒するために、ホルムズ長官に白紙委任状を与えた。
リチャード・ヘルムズ「白紙委任状というのは新聞記事で使われた言葉です。白紙委任状が実際に与えられることなどありません。アジェンデに関して言うと、ニクソンが出した指示は『アジェンデがトップの座に就くのを阻止せよ』それだけです。」
ウィリアム・ブラム「CIAは政権転覆の口実を作るため、チリ国内に経済不安や社会不安など、様々な混乱をまき起こしました。」
スタンスフィールド・ターナー「アジェンデ暗殺を望む人々と関わっていたのも事実です。」
ウィリアム・ブラム「政府は民間企業、CIA、軍、大使館、何でも利用しました。アジェンデ政権を転覆させることだけを目的とした大規模なチームもありました。」
ミルトン・バーデン「アジェンデはアメリカ政府が望む人物ではありませんでした。」
ウィリアム・ブラム「ヘンリー・キッシンジャーとヘルムズCIA長官、この2人が作戦の首謀者です。」
サミュエル・ハルバーン「アジェンデは問題だ。何とかしろと言われれば、総力を揚げて実行します。」
リチャード・ヘルムズ「全力を尽くしました。」
アメリカ政府はアジェンデ政権を転覆させ、チリ軍のピノチェト将軍を権力の座に据えることを決断した。
1973/9/11ついに軍事クーデターが起こり、アジェンデは暗殺された。 CIAは自殺と発表。
その後、何千人ものチリ市民が拷問され殺された。
ロバート・スティール「20年、30年の経験のあるベテラン工作員も、CIAが今までどれだけの暗殺計画に関わったのかわからないと思います。」
<チャーチ委員会>
チリのクーデター事件も、ウォーターゲート事件でも、CIAの関与が明らかになったことを受けて、ついにアメリカ議会は動き始めた。
1975年から始まった、議会のチャーチ委員会、そこで行われた諮問に国民は唖然となった。
それはアメリカ政府の転換点だった。
チャーチ報告書は、CIAがピノチェト将軍を支援し社会主義政権を転覆させたことを明らかにした。
ヘンリー・キッシンジャー国務長官(当時)「アメリカ政府はアジェンデ打倒ではなく、選挙に参加している政党が、自由に運動できるように努力しました。我々の関心は1976年の選挙にあり、クーデターとは無関係です。」と、述べた。
ジム・ホーグラント「キッシンジャーは自分の行為や表現が様々な非難を浴びたため、チャーチ委員会の報告を快く思いませんでした。」
ロバート・スティール「チリはアメリカの権力に翻弄されました。キッシンジャーにも、そしてキッシンジャーを利用しようとした企業にも翻弄されました。」
リチャード・ヘルムズ
ヘルムズが召還された。彼はそれまでに一度も公の場で証言したことはなかった。
ワシントンポストは、宣誓して証言したヘルムズが何度も偽証しようとしたと、皮肉を込めて書いている。
チャーチ委員会で、紛らわしい点を明らかにしたい。あなたは作戦について話したのですね?との問いに、リチャード・ヘルムズ(当時)「そうだと思いますが、明らかではありません。手紙の中身を知るには開封しなければなりません。」
法律に従わなかったのはCIAですか?との問に、リチャード・ヘルムズ(当時)「自分たちの任務を果たし、アメリカを守ろうとしました。」
明らかに法律に反しているこのような工作活動が、なぜ20年間も続いたのか、明らかにしようとしているのですとの問に、リチャード・ヘルムズ(当時)「しかし、海外の不安要素についてたくさんの情報をもたらしました。」
あなたに聞きたいのは、CIAは法律を守らなくてもいいと信じているのかどうかですとの問に、リチャード・ヘルムズ(当時)「世の中の全てのことが、白か黒かで決まっているのではありません。」
あなたは『合法性』という言葉を理解していますか?との問に、リチャード・ヘルムズ(当時)「はい」
秘密工作を中止したというのはウソだったのですね?手紙の開封は続けられた。大統領はどうすればCIAを監督できるのですか?との問に、リチャード・ヘルムズ(当時)「CIAの手紙開封について、ニクソン氏は何も知らなかった、それをご存知ですか?」と聞き返した。
そうだとしても証明できる人はいません。大統領は真実ではない書類を渡されていたのですね?との問に、リチャード・ヘルムズ(当時)「大統領に聞いてください。そうすれば私は罪を認めます。」
もしあなたが合衆国大統領だったら、CIA長官が、署名した報告書以外、何を信じますか?との問に、リチャード・ヘルムズ(当時)「ここで記録を見る限り、認めざるを得ません。私がミスを犯したのなら謝罪します。」
ジョゼフ・トレント「大統領にウソをついたのも、議会にウソをついたのもヘルムズです。何とか機密を守ろうとした彼はCIAの英雄です。」
ミルトン・バーデン「リチャード・ヘルムズは秘密を守りぬいた男としてCIAの歴史に残るでしょう。」
サミュエル・ハルバーン「彼は多くの秘密を抱えたまま死んでしまいました。でも、それはそれでいいと思います。それが諜報機関なんです。明るみに出ない方が良いこともあるんです。秘密を守った点で彼は非常に優れていました。」
ウィリアム・コルビー
ウィリアム・コルビー元長官が上院に召還された。
質問はチリのクーデターから始まった。
CIAは金儲けをしていますか?チリでは大企業が政情不安を目論み、CIAに金を渡していた?との問に、ウィリアム・コルビー(当時)「当然、正当な資金だけに依存すべきですが、しかし、秘密工作の過程ではダミー会社を作ることもあります。」
それは不当な不当なことではないということですか?との問に、ウィリアム・コルビー(当時)「この種の秘密工作は昔から行われています。」
CIAとマフィアの関係について、報告を受けたことはありますか?......
ミルトン・バーデン「コルビーはチャーチ委員会から逃れることはムリだということに気が付き、率直に答える道を選びました。それがその後のCIAのやり方を変えてしまいました。」
コルビーは言葉を選び慎重に答えた。
カストロなどの暗殺計画では証拠が突きつけられた。
ピストル型クロスボーを見せ、この銃で矢を飛ばせますか?との問に、ウィリアム・コルビー(当時)「できます。」
射程距離は?との問に、ウィリアム・コルビー(当時)「100ヤードか、100mくらいだと思います。」
コルビーはさらにベトナムでのフェニックス作戦について追求された。
フェニックス作戦は暗殺計画だったのですね?ベトナム対策についてに議論は十分にされましたか?暗殺した人数は?との問に、ウィリアム・コルビー(当時)「約2万人だったと思います。」
ロバート・スティール「ほとんどのアメリカ議会や大統領の委員会と同様、長期的な影響は無いに等しいものです。作戦を実行する人物の考え方や、特性に言及していないのですから。調査委員会の影響などほとんどありません。」
アレキサンダー・ヘイグ「アメリカ議会が知恵の結晶だとしても、議場に座ったままで諜報機関を正すための法律を作れるとは思えません。」
フランク・カールーチ「チャーチ委員会の記録を見れば、CIAがこれまでやってきたことは、すべて大統領レベルで決められてきたことが、よくわかります。ルムンバ暗殺事件、ピッグス湾事件、CIAが非難されてきている様々な活動は、すべて政治的判断の結果です。」
ロバート・スティール「大統領在任中にCIAが何かタイヘンなことをしでかしたとしても、作戦の実行を命じているのは大統領自信なのです。」
<効果をなさない 形だけの『暗殺を禁止する』大統領令>
1976年 フォード大統領はCIAに決定的な一撃を加えた。
『アメリカ合衆国政府職員は政治的暗殺または計画に関与してはならない』という大統領命令に署名した。
ロバート・ベア「我々は暗殺計画を実行できなくなりました。一連の大統領命令に強制的に『強制的ではないが署名するよう』に言われました。」
ジェゼフ・トレント「フォードが大統領命令に署名したのは、チャーチ委員会が開かれていたからです。様々な、捜査が行われ、大きなプレッシャーがかかっていたため、行動に出る必用があったのです。」
アレクサンダー・ヘイグ「議会と国民は法律でモラルを守れると信じ始めました。」
ミルトン・バーデン「チリ問題など色々あったそのすぐ後でした。ニクソンの辞任でフォードはいつの間にか自分が大統領になってしまい、『暗殺を禁止する』と書かれた大統領命令に署名したんです。」
ジェゼフ・トレント「そんなこといつもやっていることです。暗殺がアメリカの国益に叶うなら彼等はいつでもやるでしょう。」
サミュエル・ハルバーン「どんな政府も必要に応じて利用しています。暗殺は政府の道具。それだけです。」