「捕虜になったリンチ上等兵」 陸軍報告書のミステリー
X-FILES index <ABC ジム・ウーテン記者>
507整備補給中隊の証言や陸軍報告書がナイトラインで流された。
507整備補給中隊は、2003/2月半ばに家族と別れ3月始めにはクウェートの砂漠にいた。
3/19(水曜日) 戦争がはじまった。
翌日 木曜日の午後、507中隊は移動を開始。
金曜日には第三歩兵師団に配属され、何千人もの補給部隊、数百台の車列の最後尾についてイラクに入った。
部隊を率いるのは37歳の中隊長トロイ・ケントキーン大尉と、38歳の指揮官ロバート・ダウデイ曹長。
輸送部隊は長い車列の最後尾にいた。
第67中隊の64人は敵の領内へ侵入。
うち31人は攻撃され9人が死亡。
軍のトラックは次々に砂に埋まりまた砂で故障し動かなくなっていった。
車列の半数が何マイルも遅れを取っていた。
それでも何とか追いつこうと部隊は単独で暗闇を走っていた。
T・ジャクソンニ等軍曹は、「本当に恐ろしかったです。見知らぬ土地ですからそれも当然でしょう。誰が攻撃してくるかもわかりません。敵が何を探しているかはわかっていました。」
507中隊のジャクソン軍曹とローズ三等軍曹は、途中、戦車は数台見つけましたが、507中隊の車はそのまま横を通り過ぎました。
M・ローズ三等軍曹は「戦車の横を通り過ぎるのでおかしいと思っていましたが、でも私は指揮官を信じていました。おかしいと思いましたが、あれは援護か予備の部隊だろうと思ったんです。」
そうではありませんでした。
通常、後方支援部隊には援護がつきますが、この部隊は前線を越え、孤立し、惨劇に向かって単独で進んでいました。
本来なら、ナシリーアの手前の部隊から交通管制を行い ナシリーヤ周辺の車両や兵士に指示を出すはずでしたが、そこには数人の海兵隊がいるだけでした。
キング大尉は左折すべきところを左折せず、真夜中のナシリーヤを越え、そしてユーフラテス川にかかる橋へと車を走らせました。
ローズ軍曹は「橋を越えるとき、ああ、これが子供のころに聖書で読んだあのユーフラテス川だと思いました。」
橋の向こうに見えた風景をキャンベル軍曹は「街には人影がありませんでした。車が1台あっただけだったんです。そのとき街はモヌケの殻で誰もいませんでした。」
しかし、向こうの検問に、武装した民間人がいました。
キャンベル軍曹「しかし、彼らは敵意を見せなかったんです。そのまま通らせてくれました。まったく抵抗のそぶりも見せなかったんです。」
ジャクソン軍曹「イラク軍兵士の姿も見えました。兵士はただ立っていただけなので私たちはそのまま通り過ぎました。武器は持っていましたが、行動したり、話をしたりはしていませんでした。」
陸軍の報告書によれば、キング大尉はその先の左折すべき道をまた左折しませんでした。
ここで初めて道に迷ったことに気付き、道を引き返しました。
このころには、アメリカ兵がいると報告を得た2000人規模のイラク軍の中隊が507部隊の移動ルートに集結しだしました。
そしてまたも曲がる道を間違えてUターンしているところを、待ち伏せ攻撃にあったと報告書には書いてあります。
ウォルターズ軍曹が殺害され、この日最初の犠牲者となりました。
背中を2発撃たれた上、刺されたということです。
車列は3つのグループに分かれました。
キング大尉のグループは、激しい銃撃をかいくぐり橋を渡り街の外に脱出して海兵隊の部隊と無事合流しました。(大尉は部下を見捨ててトンズラしたのね)
2つ目のグループにいたキャンベル軍曹「どちらの軍にもかなりの人数がいました。いろいろな兵器もありました。ライフル、戦車、携帯型ロケット弾、それからバスが我々の進路をふさいでいたのですが、突破するしかありませんでした。」
後ろにはローズ軍曹が続いていた「突然、私に向けて何者かが発砲してきたのです。どうぞ6人の子供たちに生きてまた会えますようにと神に祈ったのです。」
ジャクソン軍曹は窓から応戦し、左指に軽症を負いました。右腕も撃たれました「手がしびれて感覚がなくなったんです。見ると手がブラブラしていたので、すぐに手が折れているのだとわかりました。だから右手を抱え込んで、左手で銃を撃ち続けたんです。そして砂で故障し玉が詰まったため、運転手の銃に手を伸ばしたときに足を撃たれました。」(話がおかしいね。撃っている間に右手がブラブラしているのに気が付いたということはないでしょう。普通なら撃たれた瞬間に左に持ち替えて撃つでしょう。左手で撃っている間に折れていることに気付くことがあるかもしれないけど。)
ジャクソン軍曹「煙を上げていた車両はパンクして、川を渡ったところで動かなくなりました。みんな同じ状態でした。みんなが歩いてこっちにきました。歩いてみて初めて腰や太ももも撃たれていることに気が付きました。立ち止まると腰や足から血が流れているのを感じたんです」
ルーテェン伍長の機関銃も砂で詰まってしまいました。「M16をつかんだところで、扉越しに一斉射撃を受けました。カラダの各所を撃たれました」
しかし運転手がルーテェン伍長を助けて橋を渡りました。(うーむ、2000人の兵士を相手に扉越しに攻撃をされながら、しかも橋を渡れるとは!?)
元衛生兵のローズ軍曹が4人の兵士に応急処置を施していました。「負傷したのは、キャンベル軍曹、ジャクソン軍曹、ルーテェン伍長負傷したのはグラス専門技師です。」
こうして2つに別れたグループは危機を脱しましたが、16人は取り残された。
3つ目のグループに何が起きたのか?
陸軍公式文書によると、507整備補給部隊の男兵士11人と女兵士3人。そして第三歩兵師団の兵士2人がいた。
車列はイラク兵が置いた障害物を避け、ユーフラテス川を渡り、来た道を戻っていた。
事件を捜査した大佐は死亡した家族に「イラク兵はあらゆる手段を講じて、車列の動きを阻もうとしていた。道にイラク軍がダンプカーを止めて道を塞いでいました。2つのグループは通り抜けられたのですが、3つ目のグループはできませんでした。」
イラク軍のダンプカーを避けようとして、道を外れ、溝にはまり、トレーラーは左右に揺れました。
トレーラーの後ろを走っていた、ジープ型軍用車には序す籍にダウディ軍曹、運転手にピエストワ上等兵、後部座席の兵師団の兵士2人の間にリンチ上等兵。
軍用車は障害物を避けて蛇行して走っている間に、砲弾を受け、溝にはまっていたトレーラーを牽引していたトラックの後部に衝突。
車両の右側にいたダウディ軍曹と、アングイアノ技術兵が即死、バックス軍曹は腕の怪我からの大量出血で死亡、ピエストワ上等兵は重症を負ってイラク軍の手当てを受けたが死亡。
生き残ったのは、リンチ上等兵だけだった。
ダウディ軍曹はリンチ上等兵を守るためにダッフルバッグをカラダの前に置いた、そして毛布をリンチ上等兵に当てた。
リンチ上等兵は無防備な状態だったからだ。(結局、リンチは銃撃には参加しておらず、負傷も交通事故のもので、ドイツのアメリカ陸軍病院で発見されたという複数の弾痕も刺し傷も無かった)
2人の両脇にいた歩兵師団の兵士は銃を撃っていた。
そのころスローン上等兵が機関銃で撃たれ死亡、サック上級准尉も死亡、他に4人の兵士が車両の激突事故で死亡。
イラク軍はリンチ上等兵を含む6人の兵士を捕虜にした。
その中のミラー上等兵はイラク軍兵士6人を射殺したらしい。
この1時間でアメリカ兵11人が死亡した。
しかし、2つのグループには海兵隊の戦車が救助にやってきた。
6時間後、国防総省はスパイ衛星を使って部隊の残骸を確認。
戦闘終結から数時間後、勲章の授与式が行われた。
生き残った兵士や死亡した兵士にそれぞれ勲章が贈られた。
生き残ったのはリンチ上等兵だけ、しかし、陸軍の報告書にはこれだけの詳細な記録が残されている。
しかも、リンチ上等兵は当時の記憶をすべて失っていると言われている。
しかも、軍用車両の中で起きたことまで事細かに。
まったくフシギだ。
陸軍は60人以上の証言を聞いたと述べている。
10/27 イラク戦争から帰宅した兵士が、パーティーで撃ち殺された。
Sok Khak Ung(サンフランシスコの22歳のエンジニア)は、4月に、イラクの病院からの軍隊上等兵ジェシカ・リンチの救助に参加。
Ungは特殊部隊がリンチを救出作戦で病院に入ったのメンバーだった。
イラクで負傷し帰国、軍から負傷解任されることになっていたちょうど12日前に、ロングビーチの父親の家でパーティーに出席し、Ungは撃たれた。
ロングビーチ警察は、狙撃犯人が父親の家で木製のフェンス越しにガレージ(ここでUngは友達と立っていた)へ6〜8発を撃ったと述べた。2人の若者は死に、狙撃犯人は逃亡中。
リンチ救出隊のメンバーは先に、一時帰国して恋人に会いに行く途中に交通事故で死んだ兵もいる。