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デビッド・ケイへのインタビュー
元イラク大量破壊兵器捜索責任者

2004/1/28

2004/2/3 更新

ABC ナイトライン インタビュアー:テッド・コッペル

テッド・コッペル
-- アメリカのイラク大量破壊兵器捜索チームで責任者としてイラクで活躍されましたデイビッド・ケイ氏が先週辞任されました。以来、ケイ氏は報道に対して、きょうは上院情報委員会で発言されて、イラク戦争前に、生物化学兵器は存在しなかったという見解を述べました。また核兵器の製造能力には程遠かったとも述べました。
大統領・副大統領・国防長官・国務長官が揃って、大量破壊兵器の保有を理由に早い時点での、対イラク開戦を主張したことを考えれば、つまるところ次の議論になりそうです。

つまりアメリカ及び同盟国の情報仕官が間違っていたのか?それともブッシュ政権ブレア政権が都合のよい情報だけを選び出したのか?という議論です。
そうすることで戦争反対に繋がるような情報は無視して、その上でイラクがアメリカと同盟国に対して差し迫った脅威であると強調したのか?ということです。
ちなみにケイ氏は情報機関の間違いだったという見解を示しています。
そして大統領以下、政府の高官が情報を歪曲したとは考えていないとも述べています。
また国連の査察チームを国外に追放した1998年の時点で、イラクの保有していた大量破壊兵器の行方についてはケイ氏にも分からないということです。
きょうはデビッド・ケイ氏にワシントンのスタジオに来てもらっています。
ケイさん今、私が触れた最後の点についてお伺いしたいと思います。いかがでしょうか?--

ケイ「イラクは1992年、大量破壊兵器の備蓄を幾分、削減し始めました。国連の査察官が思った以上に有能だと判断したためでしょう。そして1995年サダム・フセインはさらに大幅な削減に踏み切りました。この年は、2人の義理の息子のひとりカーメルが亡命した年ですが、すべてを知るカーメルが査察官に兵器の所在を明かしてしまい、ウソがバレるのではないかと恐れていたのです。それから、1995年〜2000・2001年にかけて兵器の備蓄は少しづつ減りました。

-- 1998年にサダムが査察チームを追放した当時は、大量破壊兵器の一部がどこかに残っているという見方が一般的でしたね? --

ケイ「確かに行方がわからないという認識はありました。報告書には『兵器の廃棄は確認できない。イラクが兵器の所在を言いたがらない理由がわからない』という明言している一節がありますが、要するにサダムは大量破壊兵器プログラム再開のカギとなる技術や個人を守ろうとしていたもの、兵器そのものは実際持っていなかったということです。我々が見落としていたのはこの部分です。」

-- あなたが考えているのは、ブッシュ政権には作為は無かったということですね?間違いがあったとすれば、情報機関に間違いがあったという見解ですが、そう考える根拠は何ですか?--

ケイ「まず、私には直属の情報分析官が多数いたのですが、ここ7ヶ月の間、彼らの当時の予測とは矛盾する証拠が出るたびに、話し合いを持ちました。そのとき彼らは『元々、戦争前の情報など信じていなかった。圧力をただかけられただけ』と言う事もできたのに、実際は大多数が『大きなヘマをやってしまった。申し訳ない。戦争前にこれがわかっていれば、あんな結論は出さなかったのに』と答えたのです。彼らは本当にイラクが大量破壊兵器を持っていたと確信していたのです。
ただ重要なのはそう信じ込んでいたのは、アメリカの情報当局だけではないということです。同盟国や一部の非同盟国も同じでした。それもこれも、まだ兵器を保有しているというのだと、イメージをイラク側が作り出そうとしていたためなのです。」

-- ここで2003/2/14のレポートを読ませていただきます。
国連はホワイトハウスに対して「大量破壊兵器は見つからなかった」と警告。

次に2/15のレポートです。
国際原子力機関はホワイトハウスに対して「核開発計画の証拠は無い」と警告。

次に2/24。
CIAはホワイトハウスに対して「大量破壊兵器の直接的証拠は一切無い」と警告。

そして3/7
国際原子力機関はホワイトハウスに対して「核開発の証拠は無い」と再び警告。


あなたは、国連の査察チームといっしょに仕事をされたし、彼らもリッパに責務を果たしたと思います。なぜ誰も(国連)査察チームの報告を信じなかったのでしょう? --

ケイ「恐らく1998年にイラクから追放された査察官自身が、十分な仕事をしていたのに、そう思っていなかったのも理由の一つでしょう。査察チームはイラクの兵器開発プログラムの全貌を解明できていないとの思いにかられていたのです。当時、イラクは査察官が考えていた以上に、査察団の能力をかいかぶり、警戒していたようです。ただイラク側も国内を開放して国内を無制限に査察させることもできたのにそうはしませんでした。長年に渡るこのような行動ために、皆、イラクへの疑念を払拭できなかったのです。」

-- あるいはサダム・フセインは近隣諸国に対して、侮りがたい人物、そして危険な人物だという印象を与えたかったのでしょうか? --

ケイ「近隣諸国との関係もあったのでしょうが、サダムが国内のシーア派やクルド人の抵抗勢力にも、大量破壊兵器を使用した点も忘れてはいけません。彼は、もし大量破壊兵器を持っていないと悟られてしまえば、外圧に屈したと思われてしまえば、国内で新たな民衆蜂起が起こるのではと恐れていたのです。」

-- あなたは、イラク人科学者、そしてタリク・アジズ副首相など、イラクの指導者の話を聞く機会があったと思いますが、その中で『これは意外だ』と思うようなことはありましたか?--

ケイ「いろいろと教わりました。例えばアジズ氏は1998年以降の国内の様子について随分詳しく教えてくれました。サダムは小説や脚本を書いたりして、空想の世界に耽り、国の状態については全く無頓着だったということです。それどころか外部による審査もしないまま、科学者の求めに応じて資金を出していたというのです。文字通り『心は闇の中に』という感じです。社会は崩壊寸前でした。我々は1998年以降のこのような国内の状況を見落としていたのです。」

-- それにしても、サダムがそれほど現実から遊離していたのを、知る術は無かったのでしょうか? --

ケイ「スパイ活動でもすれば可能だったかもしれません。ただこんなことは今回が初めてではありません。我々は、旧ソ連がどれほど衰退していたかを見落としていました。経済は麻痺し、崩壊直前では軍事力も機能不全でした。あおの超大国が内部ではあれほど、衰退していたとは正に驚きでした。このような一国の内部崩壊という点を見落としていたのです。」

-- そう考えると、ブッシュ政権が推進する、先制攻撃的な外交は不適切だということにならないですか?旧ソ連にせよ、サダム政権下のイラクにせよ、どういう根拠で先制攻撃を仕掛けることができるのでしょう? --

ケイ「先制攻撃を容認する外交・軍事政策には、完全無欠の情報が欠かせません。ただ、今までの教訓からして、そんなことは物理的にも、頭で考えても無理かもしれません。」

-- 結局のところ先制攻撃という考え方について、どう思われますか? --

ケイ「民主国家においては、かなり信憑性の高い証拠が無い限り、先制攻撃には極めて慎重にならねばなりません。ただイラクの場合、サダムがいなくなり、社会が良くなったことはイラク国内に少しでも居ればわかります。サダム政権下では多くの市民が抹殺され、社会がバラバラになりました。それに率直にいってイラクはより危険な国家に変貌する寸前だったのです。大量破壊兵器製造用の部品や技術を含む、大量の軍事品の倉庫と化しつつあったのです。正に他の組織や国々がそのような技術を狙っていた時にです。」

-- 今のご指摘から2点ほど重大な疑問点が浮かび上がってきます。まずはイラク人科学者の身の振り方です。そしてイラクが今後、どうなるのかという問題です。
最も危険なことは大量破壊兵器そのものというよりは、イラク人科学者が持つ知識だと思います。その意味で、イラク人科学者の処遇は十分だと言えるのでしょうか?それともシリアやリビア、あるいは北朝鮮といった国に流出したということがあるのでしょうか? --

ケイ「これまでイラクでは様々な出来事がありました。イラクの科学者達は経済的な機会を求めて、あるいは安全を確保するために、国を離れ、行方がわからなくなっています。彼らの行方を追うのは容易ではありません。おっしゃる通り、大量破壊兵器の本当の脅威は兵器そのものにあるのではなく、その技術、知識です。この問題は、別に今に始まったわけではありません。例えば旧ソ連の国家が未だに直面している問題です。科学者たちが大量破壊兵器の技術と共に消えてしまっているのです。」

-- あなたが辞任した理由のひとつには、任務を遂行する上で、必要な人材や予算が他に振り向けられて、十分な捜索体制が組めなくなったということでしょうか?そのような理解でよろしいですか?--

ケイ「確かにそれもありましたが、他にも理由はあります。私達は当初、イラクの大量破壊兵器の捜索のみを行う調査グループに所属していました。捜索作業に集中し、CIAに成果を報告をするのが任務だったのです。それを典型的な政府の調査団。すなわち複数の命令や上司の下に置かれ、幾重ものの使命を課せられ、指揮指令系統が曖昧な組織には、したくありませんでした。
ところが、アメリカ軍の安全確保やテロ防止対策が主要な任務として課せられ、調査団のあり方が変ってしまったのです。」

-- では、あなたの後継者の任務はどうなるのでしょう?非常に有能な人物だということはわかりますが、金も不十分で、かつ捜査報告のプロセスも複雑だということですね?あなただって自分でできると思ったのなら、自分の手でやったのではないでしょうか? --

ケイ「後任のドルファー氏は私とは全く違った人物です。はっきりと意見も言えるでしょうし、調査団が失ってしまった行動の自由や、捜索活動に集中する姿勢を取り返すことができると思っています。」

-- 大量破壊兵器は戦争の前も存在しなかったし、今も存在しないと、数日前から何回も述べられていますが、それならば捜索を継続する意味はどこにあるのでしょう? --

ケイ「まだまだ、捜索するべき点はあります。まず第一に私の結論が正しかったかを確認する必要がありますよね。それと同時にどの国が、どの外国企業が、あるいは個人が、イラクのプログラムを支援し続けたのか突き止めていかねばなりません。このプログラムは'80年代と同様、'90年代末、海外からの支援を受けています。支援の手を差し伸べた人物、企業、国は、イラク以外の他の国も支援したも支援した可能性があります。今、イラクの科学者達がどこにいるのか?何をしているのか?技術はどうなったのか?突き止める必要があるでしょう。」

-- 今、誰が支援したのかというお話がありましたが、戦争前にはレシートがあるので、イラクに大量破壊兵器が存在することは確実だといったジョークがありました。’80年代にはアメリカだけでなく、イギリスもドイツもフランスも、サダム・フセインを支援していました。'90年代後半になってもイラクを支援していたのはどの国だったのでしょう? --

ケイ「それは我々ではないと思います。その点はすでに調査済みです。これについては大半がまだ機密情報ですので、詳しくはお話できませんが、とにかく欧米諸国ではありません。」

-- 極秘扱の情報を明かすことはできないのでしょうが、西側ではなかったとすれば、その他の国、例えばロシアなどの国が考えられますが、そのあたりなのでしょうか? --

ケイ「中華料理のメニューを見て、いったいこれは何かと推測する。今はそんなときではありませんよね。」

-- 中国とか?北朝鮮とか?--

ケイ「例えば、リビアのケースを考えてください。遠心分離の部品がリビアに渡ったというのは、大きい驚きでしたが、実はこの部品、パキスタンからの注文を受けてマレーシアで製造されていたのです。現在、世界には様々な武器の供給元が存在します。府息の拡散という意味で、今はイラクが核の研究を始めたときより、ずっと危険なのです。」

-- ブッシュ大統領はサダム・フセインを拘束したことで、『世界は以前よりも安全になった』と発言しています。しかし大量破壊兵器の拡散、そしてイラク人科学者の身の振り方を考えるとき、世界はどうなるのでしょう?以前よりも安全になったという考え方を受けることができるのでしょうか? --

ケイ「ひとつの脅威を取り除いたという点においては、安全になったということができると思います。しかし、10年前と比べて世界全体が安全になったとはいえません。」

-- サダム・フセインがいない世界が以前よりも安全になったとは、具体的にどういうことなのでしょう?彼は現実から遊離していて、国内で何が起こっていたかを理解できなかったと、あなたもおっしゃってたではないですか。それに加えて大量破壊兵器も無かったということですよね? --

ケイ「それが、恐ろしいところなのです。大量破壊兵器を製造するための技術を手に入れようと思えば、まず専門的な技能と装置、また、それと伴う知識が必要です。サダム・フセインが権力の座にあり、政権の内部崩壊が続いていたら、人々はサダムを恐れることなく、大量破壊兵器の製造に必要なものをすべて売り渡していたでしょう。サダムには自体を掌握出来なかったのです。ですからサダム政権を取り除いたことによって、そういった不安も取り除くことができました。それで世界は、完全に安全になるワケではありませんが、ひとつの大きな脅威はなくなりました。」

-- 今のお話を聞いていますと、聞いていると、パキスタン政府と言わないまでも、パキスタンの原子力科学者が活発に動いて、核関連技術をすべて提供してきたような印象を受けます。この点については如何ですか? --

ケイ「パキスタンの事態は極めて衝撃的です。しかも長年に渡って行われてきたようです。ここでもまた情報収集に根本的な問題がありました。しかし、いずれかの政党が情報を捻じ曲げたワケではありません。」

-- ここ数ヶ月、シリア、あるいはイランが大量破壊兵器を保有している可能性があるという情報が入っています。また、アメリカ政府高官と接点のある人物の情報によれば、シリアやイランにも、イラクのような先制攻撃が必要だという情報も出ていますが、あなたはこれについてどう思われますか?--

ケイ「武力行使以外の方法を見つけるに越したことはありません。事実、私は心強く思っています。イラン、リビア、何れの場合も、武力行使の可能性に裏付けされた外交努力が、新しいプロセスの始まりに繋がったからです。北朝鮮やシリアも目を覚ましてくれるように期待しています。そうした意味でも、イラクがひとつの見せしめになるでしょう。勿論、まだ色々と問題もあります。
しかしサダムは自らの行いが元で、政権から追われ、国を失い、二人の息子を失いました。これだけ多くのものを失ってまで、いったい何を手に入れようというのでしょうか?そんな価値があるのでしょうか?他の国々はサダムとは違う計算をしているでしょう。
そのためにも武力行使の可能性と強力な外交努力を組み合わせる必要があります。正しこの場合にも武力行使にはより良い情報の裏付けが必要です。さもなければ、効果も正当性も主張できません。第一の選択肢として武力行使を選ぶ人はまずいないでしょう。最後の手段です。」

-- それはブッシュ大統領も言ってることですね。しかし、仮にブッシュ大統領が国連査察チームの任務の継続を受け入れたとしても、自由に文書にを通したり、科学者の聞き取り調査を行うことはできなかったでしょう。そんな状態で半年、1年、2年と国連査察チームが調査を続けたとしても、果たして大量破壊兵器が存在しないという結論を受け入れることができたのでしょうか? --

ケイ「イラク人科学者の答えがすべてを物語っています。『国連に情報を明かしたか?』と聞くと、『事情徴収を受けたが、あなたを連れていったような施設には国連の査察官を連れて行かなかったし、兵器開発のことも教えなかった』という答えが返ってきました。『どうしてか?』と聞くと『そんなことをすると、サダム政権の治安機関に殺されていた』と言ってました。こんな状況で、国連がどんなに査察を続けても、何も見つけることはできなかったでしょう。脅威を取り除くこともできなかったはずです。色んな意味で、サダムは手ごわい相手だったのです。

-- 情報収集の質を向上させるにはどうしたらいいのでしょうか?人間が集めた情報が不足していたと、あなたは言われましたが、サダム・フセインの容赦ない弾圧によって、反対者や外部の人物とのを結ぶようなものは、根絶やしにされたと私は理解していますが、その通りなのでしょうか? --

ケイ「確かにアメリカ人がイラクでスパイ活動をするのは難しいでしょう。とにかくまず始めに問題があることをみとめなければいけません。情報が適切でなかったことや、そのためにアメリカの政治指導者や国民に誤解を招いた恐れがあったことを認めない限り、根本的な問題を見つけ出すことはできません。
イラン、リビア、そして北朝鮮が武器拡散の問題を抱えていたことには驚かられましたが、問題はそれだけではありません。サウジアラビアのアメリカ軍施設や駆逐艦コールへの爆弾テロ、数え上げたらキリがありません。
きょうロバート上院議員が聴聞会を開く理由は、『何てことだ!』と思えるほどあると言ってました。予期していなかった事態が起こっているからです。根本的な構造的欠陥があるからこんなことになるのです。
欠陥を正すためには、問題があることを認めた上で、その共通点を見つけるべきです。私はすべての答えを知っているワケではありませんし、疑問さえすべて知っているワケではありません。
私にわかっているのは政党を超えた努力が必要だということです。」

-- きょうはデビッド・ケイさんに伺いました --

ケイ「ありがとうございました」