イラク戦争
混迷するイラク
〜 問われるアメリカの占領政策 〜
Truth, War and Consequences
WGBH製作 (アメリカ 2003年)
聞き手 : マーティン・スミス特派員
<イラク戦争の検証>
クウェート市からバクダッドまで車で12時間。
取材班が、バクダッドを訪れたのは、サダム政権崩壊から2週間後の4月下旬だった。
取材には亡命イラク人のカナン・マキヤが同行した。
彼は、サダム政権妥当を目指す反体制組織の中心として10年間以上も活動してきた。
バクダッドまでの幹線道路にはアメリカ軍の車両が忙しなく行き交い、要所要所に即席の検問所が設けられている。
マキヤ「イラクは30年間の抑圧からいきなり解放された上、それに代わる法と秩序が無かった。それで人々は略奪に走ったのです。」
略奪は家具や電気製品だけではなく、断熱材や水道管など、人々は利用できるすべてのものを盗り尽くし、建物に火を放った。
ジェイ・ガーナー率いるアメリカの復興チームがイラクに入ったとき、統治する上で必要な建物はほとんど残っていなかった。
-- 民衆の略奪のことは? --
ガーナー「ある程度は予測していました。しかし我々がバクダッド入りしたとき、23あった庁舎のうち17は失われていたのです。しかも通信網は壊滅状態でした。略奪があれほど深刻になるとは想像もしていなかったというのが正直なところです。」
続く混乱にイラク人は「統治ができないのなら帰れ!」と、アメリカ人軍に怒りの声を上げた。
-- アメリカ軍がパトロールや人員を強化していれば、イラク国内は沈静化されていたのではないですか? --
ガーナー「それは軍に尋ねるべきだ」
-- 中将である あなたに尋ねたいのです --
ガーナー「軍は大きいに越したことはない」
-- 今回は十分ではなかった? --
ガーナー「戦争終結のとき、バクダッドにもっと多くの部隊を投入しておくべきだったと思いますね。」
我々が到着したときも、略奪は続いていた。
しかし、町中で見るアメリカ兵は自分達の役割を把握していないようだった。
アメリカ兵は略奪した(?)木材を運びだそうとしていた車を発見した。
若いアメリカ兵「口で言ってわからないやつの車は没収だ。アメリカ軍の戦車でこうしてやる。」
そう言うと、若いアメリカ兵2人は車に向かって拳銃を乱射!その上で、エイブラムス戦車を使い、積んでいた木材もろとも車をひき潰した。
しかも、戦車を前進と後進させ完全にペシャンコに。
アメリカ兵はまるで楽しんでいるかのように愉快そうだった。
そして英雄気取りのアメリカ兵は「略奪の報いだ」と吐き捨てるように言った。
その車の持ち主はその車をタクシーにして生計を立てていた。
4月下旬、ガーナーはイラクの指導者約300人を招き、暫定統治機関を目指す会合を開いた。
民主国家の成立を目指すカナン・マキヤも参加者のひとりだった。
マキヤ「あの会合では、イラク人はすぐにも、自分たちの政府を必要としていると実感できました。アメリカは次第に議論を制しきれなくなりました。彼ら(アメリカ)には明確な答えが無かったのです。私達は皆、無政府状態が続き、祖国が混乱するのを恐れていました。」
-- 会合の間も略奪は続いていましたか? --
マキヤ「略奪に対処するためにも、直ちに政府は必要だったのです」
<反体派亡命イラク人 イラク国民会議>
カナン・マキアは反体派亡命イラク人によるイラク国民会議INCの幹部だ。
マキアと共にバクダッドのINC本部を訪ねた。
1NCは1992年に設立された。
そこで、アフマド・チャラビが出迎えた。
アメリカ国防政策委員会リチャード・パールはチャラビがイラク戦争に関する最も重要な情報源だったと証言している。
「チャラビはとても有能な人物です。彼はシカゴ大学とマサチューセッツ工科大学に学び、長年イラクの民主化運動に携わってきました。チャラビのように近代的な指導者の出現を我々はアラブ世界全体に対して望んでいるんです」
<アメリカ人の半数は騙されたと思っている>
アルカイダとサダムが繋がっていると主張したのはイラク国民会議議長アフメド・チャラビだった
チャラビはアメリカに対してサダム・フセインが脅威だと訴えた人物だ。
チャラビ「サダム・フセインは西側諸国にとって最大の脅威でした。そのことは911テロ以降、はっきりと示されたに違いありません。」
-- サダムを失脚させたのはジョージ・(子)ブッシュとあなただと言われています。それをどう思いますか? --
チャラビ「人がそういうならあえて否定はしません」
-- 10年以上もアメリカ政府に食い下がってようやくサダムを追放できた --
チャラビ「そうです。アメリカがサダムを追放してくれなければ、イラク人はその息子にも苦しめられるだろうと、私は早くから予想していたのです。」
インタビューを行ったころ、チャラビはイラク戦争の正当性を訴えることには、すでに関心は無く、INC本部に続々とやってくる来訪者たちと戦後のイラク統治政策の検討に入っていた。
-- 最早、この戦争は支持を失っています --
チャラビ「ええ」
-- みんな騙されたと感じています --
チャラビ「恐らくね」
-- みんなそう言っているんですよ --
チャラビ「つまり私は...」
-- 現在、アメリカ人の半数はこれまで信じてきた戦争の根拠は間違いだったと感じているのです --
チャラビ「そうです」
-- この事実を、不愉快だと思いませんか? --
チャラビ「いいえ。我々はバクダッドに戻ってきたわけですから」
<911テロ>
チャラビを始めとする亡命イラク人がバクダッドに帰還を果たした背景にはワシントンの関与があった。
1991年の湾岸戦争の終結以来、サダムを中東から追放すべきだという意見はワシントンにも存在していたが、常に少数派だった。
サダムを追放しようという意見が台頭したのは2001年の911テロがキッカケだった
パール「イラクに対するは強硬論は以前からありましたが、911の事件は脅威を前に手をこまねいていてはならないという教訓になったのです。
<アルカイダとイラクの関係はアメリカ政府が作った情報>
911が起きた日の午後、パールはブッシュのスピーチライターのデイビット・フラムに電話。
パール「デイビットと話しました」
-- 何について? --
パール「テロリストを支援する国家を野放しにしておいては、世界規模のテロに対処できないだろうということを語りあったのです」その日の夜、ブッシュが国民に対して演説した言葉にはスピーチライターの言葉が入った。ブッシュは、911の4日後、テロとの戦いの戦略を練るために集まった閣僚を前に、サダムを標的とするためには、サダムがアルカイダと繋がっていることを示さなければならないと述べた。
ブッシュ「我々はテロリストと、彼らを匿う者を区別しません」
それから数日後、ウォルフォウィッツ国防副長官は、イラクとアルカイダの情報収集にあたる特殊作戦室を国防省内部に設置した。
当初は、特殊作戦室の捜査は小規模なものだった。
パール「極、アタリマエのことです。それまではイラクとアルカイダの関係を誰も注目していなかったのですから。そんな事実があるかどうかも定かではなかったし、両者の関係を否定する証拠が出てきてもおかしくはなかった。ところが、実際に情報収集したところ、以前には判らなかった両者の繋がりが浮かび上がってきたのです。」
特殊作戦室は、イラクに関して、CIAや国防総省の意見を信用していなかった。
特殊作戦室は、アフマド・チャラビの意見に耳を傾けていたのだ。
ある国防総省筋の話では、チャラビは、特殊作戦室に2ヶ月に1回は顔を出していたという。
アメリカ国務省グレッグ・シールマン(1977〜2002) 「特殊作戦室は我々情報を扱う人間にとって、奇妙な部署でした。情報の分析や報告の仕方が通常とは違っていたのです。」
-- 何のための部署だと? --
シールマン「それが未だにハッキリしないのです。専門家を抱えるほどの規模はありませんでしたし、だいいち、作戦室を構えたこと自体、奇妙でした。国防省には国防情報局という、れっきとした組織があるのですからね。」
<「イラクが大量破壊兵器を持っている」というのは、人の噂だった>
チャラビ 「サダムは大量破壊兵器を開発していました。」
-- その根拠は? --
チャラビ「我々にはサダムの部下から得た証拠があります。しかし、アメリカには決して提示しませんでした。」
-- なぜ? --
チャラビ「ある役人から得た情報でアメリカに示せるほどの証拠ではなかったからです。」
-- 噂ですか? --
チャラビ「我々はそれ(人の噂話)を信用したのです。」
-- しかし、アメリカ国民はイラクに着々と大量破壊兵器が蓄えられていたかのような情報を聞かされていたと感じているのですよ --
チャラビ「我々が言ったんじゃない。」
-- では誰が? --
チャラビ「我々ではない。アメリカの情報機関ですよ。」
イラク戦争前に、アメリカにあったイラクの情報は曖昧で矛盾したものだった。
それにも関わらず、2002年秋に政府が発したメッセージは、断定的だった。
一連の情報からは、イラクが大量破壊兵器を開発していないという情報は伏せられていた。
しかし、国防総省は「イラクは大量破壊兵器を生産・備蓄している、という情報は存在しない」という報告を政府に提出していた。
同じ頃、特殊作戦室はサダムとアルカイダの関係を証明するために奔走していた。
-- 政府の発表する情報と、自分の知る情報とが食い違っていくのを見て、あなたはどう思いましたか? --
シールマン「これは先に結論アリきの情報活動ではないかと思いました。政府は我々が提供した情報の中から自分達の解釈に合うだけを選び出していました。そればかりではなく受取った情報から、言葉を落としたり、内容を歪めたりして、実際の情報より危険で恐ろしい状況が迫っているかのようにみせかけていたのです。」
<2002/10/7 ブッシュのシンシナチでの演説>
「危険を目前に、証拠が出るのを待つわけにはいきません。証拠はキノコ雲という形で現れるかもしれないのです。イラクから亡命してきた幹部級の核科学者はサダムが核開発を進める命令を出していたことを暴露しています。」
この情報にはチャラビによってもたらされた情報が盛り込まれていた。
「イラクがアルカイダのメンバーに、爆弾や毒ガスを扱う訓練をしてきたと聞いています。」
このブッシュ演説によって、アメリカ政府の情報作戦(操作)はより明確になっていくのだった。
チャラビの情報は真実なのか?バクダッドのIMC本部でのチャラビへのインタビュー。
-- あなたは長年イラクとアルカイダの関係を主張してきました。1998年にお会いしたときもそうでしたね? --
チャラビ「ええ、そうです」
-- そういった事実はあまり明らかになっていませんが --
チャラビ「我々は、確信を持っていますし確かな証拠も握っています」
-- アルカイダとサダム・フセインとの繋がりを示す証拠を? --
チャラビ「その証拠です」
-- それはいったいどこにあるのですか? --
チャラビ「アメリカの手に渡っています。アルカイダとイラクの間には金のやり取りもあったのです」
-- 証拠文書のようなものはあるのですか? --
チャラビ「ええあります」
-- 見せてもらえませんか? --
チャラビ「私の手元にはありません。担当の者に聞いてみてください」
-- 担当というと? --
チャラビ「我々の情報員です」
-- では、このインタビューのあとに見せてください --
チャラビ「すぐにお見せできるかわかりません」
-- これは重要な問題です。1998年以来、あなたが主張し続けてきたこの情報がアメリカをイラク戦争へと向かわせた一因にもなっているのですよ。
チャラビ「ええ」
-- だからこそその真偽を確かめなければ --
チャラビ「そうです」
-- 証拠となる文書があるのなら堂々と見せるべきじゃないでしょうか? --
チャラビ「見せないとは言ってません」
チャラビに、文書の提示を何度も求めたが「フセイン政権とアルカイダの金のやりとりが示されている」という証拠文書はまだ提示されていない。
<大量破壊兵器の脅威を訴えた カナン・マキヤ>
そして大量破壊兵器がイラクにあると主張したのは「恐怖の共和国」著者でINC幹部カナン・マキヤ。
-- 大量破壊兵器の脅威を理由に、戦争へ向かっていくことに不快感はありませんでしたか? --
マキヤ「いえ。私は大量破壊兵器の存在を信じていましたからね。ただそれで戦争が始まったと思うイラク人は私の周りにはいませんでした」
-- しかし、アメリカ人は大量破壊兵器が最大の理由だと吹き込まれていたのです --
マキヤ「残念なことです」
<イラク戦争開戦>
2003/3/19 ブッシュのテレビ演説
「アメリカ及び同盟国は、イラク国民を解放し、世界を重大な危機から守るべく、イラクを武装解除する軍事作戦を開始しました。」
<自らの意思でイラクに入城した 野心家 チャラビ>
当初、アメリカ軍は快進撃し、チャラビはナシリアに、アメリカ軍機で自ら集めたイラク人兵士700人と共に入った。
マキヤ「チャラビのナシリア入りは自由を目指す戦いに、何らかの形でイラク国民を参加させることが目的だったのですが、アメリカ国務省はこれに大反対でした。この計画は国防総省にいる彼(チャラビ)の友人の仲介で、ようやく実現したのです。」
チャラビを支持したのは、ダグラス・ファイス国防次官。
シーア派のチャラビがイラク市民を束ねることができれば、アメリカ軍が地元の信頼を得られると踏んだからだ。
チャラビによるイラク解放作戦が始まろうとしていた。
チャラビ「私はイラクの開放に参加し、アメリカの大きな助けが無くとも、何とか自力で統治できることを証明したいと思ったのです。クルド人自治区以外の領土において、アメリカはイラク暫定政府を認めるべきだというのが私の考えでした。」
<民兵を従える将軍 チャラビ>
亡命イラク人のチャラビは現地ではほとんど無名だったが、彼の演説を聞こうと集会には数千人の市民が集まった。
国務省や軍部は、チャラビ率いるイラク解放軍のバクダッド入りに強く反対。
他のイラク人勢力も抵抗を示した。
イラク独立民主党党首 アドナン・パチャチ「あれは単なる示威行為です。民兵を従えた将軍がこの国を闊歩するなど望ましくありません」
-- チャラビは軍閥を気取っていると? --
パチャチ「規模は小さいですけど、そうですね。民兵を従えて廻るようなやり方では、民主主義をスタートさせることなどできませんよ」
アメリカ軍の指揮官も市民の反応に失望していた。
アメリカ海兵隊 中将 ジェームス・コンウェイ 「チャラビは我々が期待したほど、歓迎されていませんでした。私の知る限り、地元の支持が雪ダルマ式に大きくなり、住民達が進んで彼の軍隊に参加しようとするなんて動きなんてみられなかったのです。」
アメリカ軍はチャラビと彼の兵士たちを近くの基地に移動させ、戦闘作戦から除外した。
チャラビがバクダッドに入ったのは首都陥落から5日後だった。
<サダム像倒壊>
-- サダムの銅像が倒されたときはどこにいましたか? --
マキヤ「ワシントンにいました。(チェイニー)副大統領を尋ねようとしたら、いきなり会いたがっている人がいると言われたのです。案内されると、そこにはブッシュ大統領とライス補佐官、チェイニー副大統領が勢ぞろいしていました。サダムの銅像が倒されて喜んでいる大統領に私は言いました『この2週間はどうなることかと思いましたが、とうとうやりましたね』と。もちろん、開戦直後の2週間はそんなことを想像できる状態ではありませんでした。それだけにあの瞬間、私は大統領を含めそこにいた者は皆、真の喜びを味わったと言えます。自分達の正しさが証明された気分でした。」
そして、サダム政権崩壊と共に民衆の略奪が始まった。
アメリカ軍は民衆の略奪を静観した。
コンウェイ「きらびやかなサダムの宮殿の外には、まるでイエスが誕生したころのような、一般市民の粗末な家が広がっているのです。そのあまりの落差には驚かされましたよ。我々がバクダッドに入ったときは、すでに略奪は始まっていたのですが、住民達の気持ちも理解できなくはなかったので、政府の庁舎から家具を持ち出すくらいならいいだろうと、2〜3日様子を見続けていました。」
亡命イラク人 アメリカ民主主義基金 レイス・クッパ「あれは尋常ではありませんでした。人々は解放されたのではなく、自分達を押さえつける権力が無くなったことをを感じ取っただけなのです。イラク人は政変には慣れていますから、クーデターが起きるとラジオを点けて命令を待つという具合に対応は心得ています。今回は2日経っても、3日経っても無政府状態が続いてしまったのです。
アメリカ国務省 ロバート・ペレト(1967〜1995) 「かつてラムズフェルド国防長官は『自由を手にした人間はタガが外れるもの』と語っていました。」
当時のラムズフェルドは会見でイラクの略奪について
「こういった混乱は起こりがちなものなのです。自由を手にした人間には、過ちを犯す自由があるということです。彼らはこれから、自由な人生を満喫するでしょう。」
ペレト「こういった混乱は起こるものだと長官は言ったのです。少々キツイ言葉になりますが私にはこの発言が無責任に聞こえました。我々は略奪に備えることができたはずです。それなのにアメリカ軍は現場に立って見ているだけでした。というのも、市民の行動に介入してよいという指示が出ていなかったのです。軍の側にも治安維持活動は行わないという一貫した姿勢がありました。」
-- 略奪は阻止できたと思いますか? --
コンウェイ「そうですねぇ。町の様子をシッカリ抑えて、略奪を止めさせるよう指示が出ていたら、(治安維持)部隊を派遣させることもできたと思います。」
-- 上層部に電話して略奪を食い止めるように訴えなかったのですか? --
コンウェイ「いいえ。しませんでした。」
<ガーナーの復興支援チーム>
このころガーナー率いる復興支援チームはクウェートのヒルトンホテルで足止めされていた。
-- 準備はできていたのにどうして任務に就けなかったのですか? --
元イラク復興人道支援局長 ジェイ・ガーナー「中央軍司令部の許可が出なかったのです。復興支援チームが到着した当日に襲われる事態だけは避けたかったのでしょう。」
-- 軍に足止めされましいたね? --
復興人道支援局 ティム・カーニー「あれは(足止め)間違いでした」
-- なぜ、そう思いますか? --
カーニー「あの時期は基本的に戦後のイラク復興を、軍の任務から、民生部門の任務に移行する絶好のチャンスでした。文民スタッフを可能な限り投入して、復興事業を機能させる必要があったのです。」
-- ところが、足止めされて仕事に着手できなかったのですね? --
カーニー「そうです」
その後、任務に就いた復興支援チームはアメリカ軍と地元住民との衝突に対応に迫られることになる。4/28 ファルージャの町で地元小学校を占拠していたアメリカ軍に地元住民が抗議デモを行った。カーニー「こんな事件が続けざまに続けば、イラク人にアメリカ人に対する憎しみが湧くことは容易に理解できるはずです。イラクの占領統治において本当に大切なのは、民衆を完全に制圧することではありません。現地の住民と考えを分かち合う能力を我々が欠いていることに問題があるのです。」
この時、アメリカ軍が発砲し、イラク人17人が死亡、70人が負傷する大惨事になった。
さらに2日後にはアメリカ軍に抗議するために集まった群衆に向けてアメリカ軍が発砲、住民に3人の死者が出た。
市民は怒り「これがやつらのいう自由かっ!!こんな自由など、犬にでもくれてやるっ!!」と、カメラに向かって怒鳴った!
<ポール・ブレマー暫定行政当局行政官の バース党員差別政策 混乱の複雑化>
しかし、アメリカ政府は事態の沈静化のため、急遽、ガーナーの更迭を決め、取り締まりの強化を目指した。
暫定行政当局 ポール・ブレマー行政官「5月の始めにラムズフェルド国防長官のオフィスから電話がありました。」
そこでブレマーがイラクと特使に任命された
ブレマー「あっという間に、事が進み10日後にはイラクへ来ていました。準備期間はたった1週間でした。」5/12 バクダッドに着いたブレマーは、アメリカの政策を改めて明らかにした(?)。チャラビ「ガーナーの問題点はバース党員を上級職に就けたことにあります。」
ブレマー「同盟軍はイラクを占領しに来たのではありません。息災政権を倒しに来たのです。それを達成した今、我々の任務はイラク人が自由を切り開く手助けをすることです。」
ブレマーは元オランダ大使で中東での経験はほとんど無かったが、1980年代には国務省のテロ対策室の室長を務めていた。
着任早々、ブレマーはアメリカ軍の治安体制を徹底した。
パトロールを強化し、サダムの捜索体制をスピードアップを図った他、略奪者に対する発砲を許可した。
ブレマーは次々に行政命令を発令した、
市民の所有地も、刑務所も、マスコミも取り締まりの対照となった。
ブレマーは自治政府の設立を遅らせた。
これに憤慨したチャラビはアメリカに飛び、国防総省やアメリカ議会で不満を訴えた。
チャラビは、前任者のガーナーが旧バース党員を雇い入れていたことで激しい非難を浴びせていた。
-- あなたは反対していた? --
チャラビ「断固反対でした」
-- 彼の更迭を歓迎したのは? --
チャラビ「政策が変わりましたから」
イラク国民会議INC ナビール・ムサウイ「ガーナーは、イラクを30年以上も苦しめてきた人々と、手を組もうとしたのです。」そしてブレマーは「今後、イラクからバース党を根絶する方策を打ち出します。」と会見した。-- あなたの計画は潰されてしまいましたね? --
ブレマーの差別方策により、3万〜4万人にも及ぶ、バース党員は一切、公職に就けなくなってしまった。
ガーナー「1週間で全てヒックリ返されました」
-- どう思いました?
ガーナー「間違いだと思いました」
クッパ「あれだけの数のバース党員を使わないというのは賢い方策ではありませんでした。問題の解決どころか、返って問題を作り出してしまったのです。バース党員の中には組織犯罪に手を染めたり、アメリカ軍を攻撃する者もいれば、イラクの未来に自分の居場所を見出せなくなった者まで出てきています。当初の思惑とは食い違ってきてしまったワケです。」
破壊活動が拡大し、石油パイプラインが頻繁に狙われるようになった。
毎日のようにアメリカ兵が殺され、開戦から半年で、アメリカ兵の負傷者は(軍発表でも)1600人以上、死者は300人を超えた。
(戦争を正当化したいもの(起こした張本人)のひとりの言い訳)
マキヤ「破壊活動の多くは周到に計画されたものであって、アメリカ軍の占領に対する抵抗運動ではありません。これはバース党の残党が仕掛けた組織的な戦術です。彼らはすぐにイスラム原理主義者と手を組むでしょう。戦前、盛んに議論されていたアルカイダとサダムの結びつきが今、我々の目の前に現れようとしているのです。まるですべてが振り出しに戻ったような気がしてなりません。」
-- 皮肉ですね。アルカイダがこの戦争をキッカケにイラクに来たのだとしたら --
マキヤ「それはあくまであなたの想像です」
<アメリカ兵による強制捜査という名の暴力>
アメリカ軍による民家などの強制捜査は困難を極めていた。
アメリカ軍中将 デービット・マッキーナン「街中で行う強制捜査では、敵を見極めることは非常に困難です。強制捜査に比べたら地上戦に突入する時の方がはるかに簡単だと言えるでしょう。誰が敵で、誰が味方かすぐに判りますからね。しかし町中では敵は一般人に紛れて判らなくなっていますから、一層危険なのです。」
アメリカ兵は身の危険があるという理由で、イラク市民を殺し放題。
銃も何も持っていない普通の一般人を殺しても謝ることも無い。
そのまま立ち去るだけだ。
犠牲者の多くは何もしちゃいない、ただの一般市民だ。
ペリト「軍隊と警察には大きな違いがあります。軍隊には敵の兵士と戦う訓練はありますが、一般市民に対処する訓練はありません。ですから兵士は一般市民が相手では勝手が違ってしまうのです。ある人がこう言っていました。兵士は人を撃ち物を破壊するように教育され、警察は保護するように教育されるとね。」
<途方もない負担>
イラクにバース党員を完全に排除した警察が配備するまで最低1年はかかるとみられている。
新イラク軍兵士の募集にも、元兵士を含む多くのイラク人が50度を超える炎天下の中、並ぶ。
イラクの失業率は50%をはるかに超える。
大規模戦闘終結宣言後も、ブッシュ政権の当初の予想をはるかに上回り、アメリカの負担も膨れ上がっている。
ブレマー「我々の専門家はイラクのインフラを修復するのに1000億ドル(約11兆円)かかるとみています。全くとてつもない金額です。」
しかし、ブレマーのいう1000億ドルは復興事業のみの費用だ。
実際は、さらに占領軍の経費が1月あたり40億ドル(約4400億円)が加算される。
それでも彼は他に選択の余地は無いと主張する。
復興が成し遂げられるまで、アメリカ軍はイラクに駐留し続けるのだ。
<すぐにでも、イラク人にイラク統治の権限を求めるイラク統治評議会>
2003/7月半ば、ブレマーは25人のイラク人からなる暫定統治機関イラク統治評議会を発足させた。
正し、財政や治安など実際の権限は、依然としてアメリカが握っていた。
メンバーに選ばれたチャラビはイラク統治の権限を評議会に移行するように求め、次第にアメリカと距離を置き始めた。
チャラビ「アメリカが占領を続ける必要はありません。」
-- でも治安は必要でしょ?--
チャラビ「アメリカが引き上げたら、イラク人自身で何とかしますよ。」
-- 計画だけで、まだ警察すら無いじゃないですか --
チャラビ「警察は早急に設立します。」
-- いつアメリカが撤退しても大丈夫なのですね? --
チャラビ「ええ、イラクでは今後も多くの血が流れるでしょうが、諦めず戦えば、きっと勝利は掴めるはずです。」
チャラビはイラク人によるアメリカ兵襲撃が増え、長年に渡る関係が壊れることを懸念している。
<偽善者たちの戦争、そして詐欺師たちの統治>
8/19 バクダッドの国連事務所が何者かに爆破され、デメロ特別代表を含む22人が死亡した。
(国連は、初めて国連を無視して戦争を始めた占領軍に協力している。)-- 復興に携わる人々をイラクから追放するのが犯行の目的では? --その後、再び9月に爆弾攻撃され、国連のイラク派遣団は650人から50人へと大幅に縮小した。
ブレマー「もし、そうだとしたら、犯人の認識は間違っている。」
-- 新たな攻撃からイラクの安全をどうやって守りますか? --
ブレマー「我々は全力で取り組む覚悟です。再び攻撃を受ける前に、犯人は必ず探し出します。」
これを受けブッシュ大統領はニューヨークの国連総会で演説し、国際社会に資金援助と軍隊の派遣を要請した。
イラク代表として会合に出席したチャラビは、イラク人の主権回復を迅速に実現させようと(戦争に反対し続ける)フランスとドイツに接触し、ワシントンの怒りを買った。
彼は記者会見で関係の修復を試みた。チャラビ「ブッシュ大統領を始め、アメリカ議会や国民の皆さん。サダム・フセインの圧制から解放してくださったことに対し、我々イラク人は心から感謝します。」-- アメリカは戦後の混乱を予想しながら大量破壊兵器の脅威から逃れるという戦争へ突き進んでしまいました。我々は間違った戦争へ引きずり込まれたのではありませんか? --
ブレマー「私は政治家ではありませんから、それについては何とも言えません。ただこれだけは断言できます。3週間で2500万人ものイラクの人々を解放し恩恵をもたらした。このような戦いは、他には例が無いということです。」
-- 今、アメリカ人はこの戦争に疑問を抱いています。我々は大量破壊兵器という重大な脅威が迫っていると言われ、戦争へと駆り立てられました。そして今、多くのアメリカ人はあまりにも高い代償を払うハメになったと感じているのです。 --
マキヤ「『騙されて無責任な事件に引きずり込まれたのでは?』そう考えている人々を納得させることは、私達イラク人だけではなく、他のアメリカ人の義務でもあります。これは事態の根本に関わる重大な問題です。前提が揺らげば、アメリカの威信や信用が揺らぎ、これまでの行動すべてが問われることになりますからね。しかし、イラクが復興すれば、今はまだ将来の見えない他の中東諸国も希望を抱くようになり、それこそイラクでの試みによってもたらされる本当の恩恵だといえるでしょう。」
-- これは試みだと? --
マキヤ「そういうことにためらいはありません。」