[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

中東の混乱はイギリスが作った NHK

1914年 WWTが勃発し、イギリスはドイツと組んだオスマントルコと戦った。
この戦争でイギリスはニ枚舌の外交を行う。

当時のイギリスの外務大臣アーサー・バルフォアは、イギリスのユダヤ財閥ロスチャイルドに書簡を送った(バルフォア宣言)。
「親愛なるロード・ロスチャイルド」から始まる書簡には、パレスチナにユダヤの民族的故郷を建設することを支援すると約束(シオニズム運動への共感)。
それと引き換えにイギリスとアメリカのユダヤ人コミュニティから莫大な戦費を引き出した。
さらにイギリス軍の中にユダヤ人部隊を作り、尖兵として戦わせた。

一方、アラブからも協力をとりつけようとした。
メッカの豪族フセインに書簡を送り、アラブ国家の樹立を承認した(フセイン・マクマホン書簡)。
イギリスの諜報員E・ロレンス中佐(アラビアのロレンス)を使って、当時のファイサル皇太子を言葉巧みに騙した。
イギリスの直接支配下に置くとしたイラクの横に、ファイサルのアラブ国を作る約束をした。
アラブ軍は、イギリスとの協定に基づき戦線に参加、ダマスカス(現シリア)を制圧しアラブ王国の樹立を宣言した。

しかし、イギリスはフランスと中東を分割するという第3の密約も結んでおり、約束していたアラブの独立を認めなかった。
そして、戦争に勝ったイギリスはパレスチナを委任統治権を得、結局、ユダヤ・アラブ両者の約束を反故にした。

中東の石油に目の眩んだイギリスはオスマントルコから中東の石油を我が物にするために、各所でウソをつきまくったのだ。
シオニズム運動に火をつけられたユダヤと、アラブの紛争の切欠はイギリスが作ったのだ。

イギリスの支配下になったパレスチナでのエルサレムには、戦争でイギリス国内で政治的発言力を付けたユダヤ人によって、エルサレム大学が作られヘブライ語が言語として使われだした。
イギリスやアメリカなどから移ってきた近代的なユダヤ人に比べ、地元のアラブ人は昔からの旧来の生活を細々と続けていた。
そして、何時の間にかエルサレムではユダヤ人の数が、アラブ人の倍になっていた。

1939年 WWUが勃発、ホロコーストが始まった。
ホロコーストから逃れた世界各地のユダヤ人がパレスチナへ殺到し、イスラエル建国が現実的なものに近づいた。

戦争が終わり、1947年 イギリスはパレスチナの委任統治権を放棄、解決は国連へ委ねられた。
1947/11 国連はパレスチナ分割(ユダヤ人55%、パレスチナ人45%)を採択し、ユダヤ人国家を建設することが世界に認められた。
アラブ人はこの分割に反対し、土地を争う戦闘が始まった。

1948/5 イスラエル建国。
イギリス軍が撤退した翌日、決議の受け入れを拒否したエジプトやヨルダンなどのアラブの正規軍が介入し本格的な戦闘が始まった(第一次中東戦争)。
ユダヤに追い立てられ、住み慣れた家を出て行くアラブ人たちはパレスチナ難民キャンプへ向かった。
難民の数は1年で70万人を超えた。
戦争終結後、イスラエルは国連分割案をはるかに上回る土地を占領し、独自の休戦ラインを敷いた。

<アラブの匂いのする名前を排除せよ>

1948年 イスラエル初代首相デビッド・ベングリオンは9人の地理学者を集め、名称委員会を作り、イスラエルの地名をヘブライ語に変えた。
ベングリオンが名称委員会に宛てた書簡には「我々の土地に関して、アラブ人には、政府的所有権を認めないと同様、精神的所有権も認めない。」「我々はアラブの匂いが漂う名前を一切必要としていない。」と書かれていた。
シオニズム運動において、歴史を作るということが重要な意味を持っているということだ。
ナショナリズムには神話が必要だと、地名を聖書に置き換えた。過去の記憶を蘇らせる必要があったという。

<イスラエルは社会主義国を目指した 「キブツ」>

イスラエルは各地にシオニズム運動の拠点としてキブツ(集団農場)を立ち上げ、ユダヤ教の下、出身地や年齢など違う人々を集団生活させ、荒地を農地に変えていった。
シオニズムに基づくユダヤ教の理想の社会主義国を目指したものだ。

今もパレスチナ人の土地はイスラエル政府によって、次々に没収され、パレスチナ人は財産を奪われ続けている。
PLO(パレスチナ解放機構)イスラエル政府